惜別のシルクロード 生田大和先生、望海風斗様が築き上げてきた世界観がここに
生田先生初めてのショー作品『シルクロード~盗賊と宝石~』
私が望海風斗様を初めて知り、のめりこんだ作品が
生田先生のデビュー作品「BUNDNEON上海」でした。
朝夏まなと様に促されて、照れながら
千秋楽の舞台あいさつに先生が登場されたのを
よく覚えています。
この作品については、何度も何度もブログに書いており
自分でもなぜここまで忘れられないのだろうと呆れるくらいに
今でもずっと愛して止まない作品なので
私は、当然生田先生の作品の大ファンです。
BUNDNEON上海は、バウホールという小さな劇場で
朝夏まなと様主演、望海風斗様二番手でした。
この時の若きお二人の素晴らしさが衝撃的で
以来お二人の虜となってしまいましたが
望海様のお役、劉(リュウ)は
今でも私にとっては、望海様一番のお役となっております。
(あまりにしつこいので、この辺でやめておきます。(笑))
生田先生が宝塚歌劇団に入団されたのは、
望海様たち89期生と同じ年です。
最初は主に花組の演出を担当されたので
望海様とは関りが深いのですが
初演出作品は
花組「ファントム」新人公演
望海様のお役は、セルジョ
本公演での先生のデビュー作「BUNDNEON上海」は
朝夏まなと様主演ではありましたが
インパクトなどすべてにおいて
望海様も主役のような描かれ方でした。
その後、望海様が雪組に組替えされて
主演公演「ドン・ジュアン」
トップお披露目「ひかりふる路」
を担当され
そして、退団公演の「シルクロード」は
生田先生が初めて手掛けるショー作品となりました。
生田先生がショーを手掛けることだけでも
驚きでしたのに
それが望海様の退団公演とは
嬉しくて舞い上がりました。(泣)
宝塚歌劇のトップスター退団の演目は
ほとんどの場合は退団を匂わせる言葉が
入っており
(例えば早霧せいな様の場合は「Dramatic"S"」)
演目が発表された時点で
私たちファンは
覚悟をするものですが
今回は「フォルティッシッシモ」と
「シルクロード」で
これならまだ退団ではないから安心
などど油断していたところの
退団発表という運びで
ショックが倍増したことを言わずにいられません(泣)
シルクロードという名前について生田先生は
「望海風斗は道を極めようと、進める限り進んでいく人」
という意味を込めてつけられたそうです。
そして、そのシルクロード
まさに生田先生と望海様の世界が展開されており
感動で震えました。
全てを語るには時間が無さすぎますが
私にとっては、その一場面だけで
もう充分でした。
まさにBUNDNEON上海の世界の再現であり
そこに登場された望海様は
劉(リュウ)でした(大泣)
生田先生、ありがとうございました。
あの忘れられない劉を
望海様が最後に観せてくださった。
この気持ちをうまく言葉にすることができないほどの
感動をいただきました。
私たちだけでなく
生田先生自身も
「劉」への思い入れが大きくていらっしゃるのだと
確信いたしました。
生田先生と望海様が作り上げてきた
世界は、まさにシルクロードであり
宝塚歌劇ではこれまでにはない
誰も踏み入れてこなかった精神世界を
斬新で繊細な舞台芸術として
切り開いてこられたと思います。
望海様が役に吹き込む魂と
生田先生の演出で
常に命の境界線を生きる
人物が出来上がってきました。
その命ギリギリ感が好きで好きで
それは望海様にしか演じることができなくて
望海様の心の奥深くに潜んでいる何かに
おそらく一生囚われてしまった
それが私です。
彩風咲奈様と朝月希和様の一場面は
朝月様に向ける
観たこともない優しい眼差しの彩風様と
可愛らしい表情ではにかむ朝月様を観て
なんだか涙が出ました。
雪組はこれからも大丈夫だと。
望海様がいらっしゃらなくても
観に行きたいと思いました。
望海様の最後のショーを生田先生が
手掛けてくださり
本当に本当に最高の作品となったこと
望海ファンとして感謝です。
実は先生は望海様のファンだと思います。
先生にとって、役者として
一番使いたい人なのだと感じます。
天才男役望海風斗様ですから。
願わくば、望海様退団後も
生田先生演出の主演作を
是非作っていただきたいと。
新たな私の夢が膨らみます。
フォルティッシッシモについて記事を書きました。
よろしければ読んでください。
魂震えたベートヴェン 望海風斗様の宝塚集大成 フォルティッシッシモ! :